Diary Epoch Workshop

「10,000時間」という言葉の現実

「10,000時間」
という言葉があります。

物事を高いレベルで習得するには、
それほど膨大な時間が必要だ
という考え方です。

1日は24時間。
1年は365日。

1年間休みなく動き続けても、
約8,760時間。

それでもまだ、
10,000時間には届きません。

もちろん、
人が24時間ずっと
練習し続けることなどできません。

つまり10,000時間という数字は、
現実にはほとんどの場合、
到達できないほど大きい。

そう言っても、
大げさではないと思います。

それでももし、
本当に10,000時間取り組み続けることができたなら。

どのような分野であっても、
高いレベルに到達する可能性は
あるのかもしれません。

そう考えることもできます。

ただ、
現場に立っていると、
そこにはどうしても
単純化できない問題が見えてきます。

人の身体や動きには、
そもそも構造の違いがあります。

骨格や関節の形。
筋肉や腱の付き方。
可動の特性や重心の扱い方。

こうした身体的条件は、
一人ひとり異なります。

同じ練習をしていても、
ある人にとっては成長につながり、
ある人にとっては
身体を傷つけてしまうこともあります。

さらにそこには、
伝達の違いも存在します。

どのような言葉で理解するのか。
どのように動きを組み立てるのか。
どこに注意を向けるのか。

同じ内容を伝えられても、
受け取り方は同じではありません。

そして、
見落とすことのできないものが
もう一つあります。

それが、環境の違いです。

どのような場所で取り組むのか。
どのような仲間と過ごすのか。
どのような指導や支援を受けられるのか。

同じ努力をしていても、
環境によって、
積み重なっていくものは変わります。

さらに、
私たちは避けて通れない現実にも
向き合う必要があります。

向き不向き、という問題です。

身体的な特性。
動きの特性。
理解の仕方。

人にはそれぞれ、
違いがあります。

こうして見ていくと、
「10,000時間」という言葉の背後には、理想と現実のあいだに、
多くの矛盾が存在していることが分かります。

努力しているのに伸びない。
真面目に取り組んでいるのに、
壊れてしまう。

現場では、
そうした場面に何度も出会います。

だからこそ必要なのは、
単純な精神論ではなく、
その人を丁寧に観ることなのだと思います。

身体の構造を観る。
動きの条件を観る。
伝達のあり方を見直す。
環境を整える。

そして、
取り組む側もまた、

自分の身体はどうなのか?
動きはどうなのか?
意識はどこに向いているのか?

「いま、どうなのか?」

それを認識していくこと。

その両方があってはじめて、
積み重なる時間の意味が
少しずつ変わっていくのだと思います。

それによって、
「10,000時間」は、
希望を語る言葉になります。

同時に現場では、
その希望の前にある現実を、
見失ってはならないのだと思います。

気づいた人から変わり始める。

-Diary, Epoch Workshop

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