思想や立場の前に、言葉が生まれる「構造」を見る
わたし自身の違和感を起点に、整理してみたいと思います。
「なんとなく変だな」「どこか気持ち悪いな」そう感じる言葉に出会うことがあります。
その違和感は、論理や知識で判断する前に、先に身体が察知している反応なのかもしれません。
振り返ってみると、そこには一つの共通点がありました。それは、その言葉の根底に他責があるかどうか、という点です。
他責が根っこにある言葉の特徴
他責が土台にあると、言葉は次の方向に傾きやすくなります。
- 批判や文句が増える
- 断定的な表現が多くなる
- 相手の否定が先に立つ
- 問いではなく糾弾になる
こうした言葉は、一瞬だけ人の耳目を引くことがあります。しかし、長くは続きません。
問題は思想や主張の内容ではなく、言葉を生み出している構造そのものが不安定であることだと感じています。
崩れた構造が生む言葉の傾向
構造が崩れた状態から発せられる言葉は、考え方の違いというより、反射的な反応として現れます。
言葉は、相手を理解するためのものではなく、非難や攻撃するためのものへと変わっていく。
その結果として現れるのが、批判、断定、敵意といった言葉のかたちです。
これらは、主張や思想そのものというよりも、構造が不安定になった結果として、それらが反射的な形で表出している状態だと感じています。
だからこそ、これは心理や価値観の問題として片づけるよりも、構造が崩れたときに必然的に起こる現象──物理法則に近いものとして捉えた方が、理解しやすいのではないでしょうか。
思い通りにならない─を前提に
世の中は、表面的には自分の思い通りにはなりません。これは諦めではなく、構造を安定させるための前提だと思っています。
この前提が保てていれば、違和感や不満があっても、崩れきらずに扱うことができます。
逆に、この前提が揺れると、誰かのせいにすることで自分を保とうとし、構造は崩れやすくなります。
わたしの判断尺度
ここで述べているのは、わたし自身が、どのように後押しできるかを考えるための尺度です。
根っこに他責がある言葉は、一時的に目立つことがあっても、長くは続かない。そして、関係性や場を壊しやすい。
だからわたしは、思想や立場ではなく、
その人の構造が安定しているかを、丁寧に観ています。
いずれにしても、
他責は何も生みません。
気づいた人から、変わり始める