気づく必要が高い人ほど、
気づかない。
この矛盾は、
個人の資質の問題ではない
そう感じています。
構造の問題。
構造が歪めば、
伝達は乱れます。
身体の構造。
神経の伝達。
感覚の受け取り方。
思考の流れ。
どこか一つでも乱れれば、
気づく力そのものが落ちるのは自然なことです。
だから本来は「気づこう」と言う前に、
構造を整えることにフォーカスする必要がある。
しかし──
歪みが強く、
乱れが深いほど、
そのフォーカスすら持てなくなる。
整えようとしても整わない。
変わりたくても変われない。
それは怠慢ではなく、
構造的に起きている現象なのかもしれません。
だから、どうしても時間がかかる。
外から見れば遠回りに見えることも、
本人にとっては、
精一杯の歩みであることもある。
どうしようもできないことは、
たくさんあります。
すべてを救えるわけでもない。
すべてを変えられるわけでもない。
それでも──
言葉は残しておきたい。
届かないかもしれない。
いまは意味を持たないかもしれない。
それでも、どこかのタイミングで、
誰かの中で結び直される瞬間がある。
構造が整い始めたとき、
はじめて意味を持つ言葉がある。
だから今日も、
静かに置いておこうと思います。
気づいた人から、変わり始める。
