簡単に温度感覚を例にしてみます。
◎皮膚温度
低い→冷たさを感じやすい(低体温の人は寒がり)
高い→あたたかさを感じやすい(高体温の人は暑がり)
◎温度変化の速度
ゆっくり→温度変化を感じにくい(順応による)
※最初から43℃のお湯に入ると熱く感じるが、入ってから温めるとそれほど熱く感じない…など。
◎同じ25℃でも
30℃から冷やしていくと冷たく感じる
18℃からあたためていくと暖かく感じる
※同じ室温でも、夏と冬で感じ方が違う…など。
感覚って、なかなかいい加減なのです。
何というか…あっさりと脳を騙すような感じです。
しかし、感覚が無いと非常に困るのはお分かりだと思います。
それに、その感覚いい加減さのお陰で、生きていられるとも言えます。
だからこそ、いい加減であるということを認識した上で「どうなっている?」や「どうなった?」というのを繊細にキャッチできる能力を磨かないと、様々なことがめちゃくちゃになってしまうわけです。それを認知や認識と言ったりします。
その観点から考えますと…。
・膝が痛い(と騙されている)→(実は)首がおかしい
・腰が痛い(と騙されている) → (実は)足がおかしい
・肩が痛い(と騙されている) → (実は)骨盤周りがおかしい
・大きな動き “走る・跳ぶ・投げるなど” がうまくいかない(と騙されている) → (実は)根源の動き “外見上は見えるか見えないかの小さな動き” にエラーが出ている
例えば、上記のようなことがハッキリと観えてくるのです。
そして、
走り込めば速くなるわけではない。
グリグリ揉めば痛みが取れるわけではない。
そのような結論に至るわけです。