インナーマッスルという“手段”がくれた気づき
深層筋(いわゆるインナーマッスル)や骨格ライン——
わたしは長く、それらを追いかけてきました。
“正しい姿勢”や“安定した体幹”を支えるものとして、
それらの存在は確かに重要であり、時代の流れとしても注目を集めていました。
わたし自身も現場で、深く指を入れて筋肉にアプローチし、
丁寧にトレーニングを指導し、
その変化を確かめるようにして、数えきれないほどの選手と向き合ってきました。
しかし——
そのアプローチの多くは「痛みを伴う」ものでした。
深く押されて痛い。
毎日継続するには苦しい。
安全性に不安が残る。
それでも「インナーマッスルに効かせなければ意味がない」という空気がありました。
その中でわたしは、ある種の違和感とともに、次第にこう思うようになりました。
「これは“手段”に過ぎないのではないか」
インナーマッスルへのアプローチを通して、
「人を観る」ことの難しさと、
「手段が目的化してしまうことの危うさ」に気づかされたのです。
もちろん、インナーマッスルはとても重要です。
ただ、それ“だけ”では届かないことがある。
これでは、“その人が本来持っているはずの力”に辿りつけないことがある——
そう感じるようになっていきました。
そこで、わたしは考え方を大きく見直すことになります。
“何をするか”ではなく、“どこから見るか”。
手段を限定するのではなく、入口そのものの質を変えるという発想です。
この思考の転換こそが、のちに「感覚受容器(センサー)」というアプローチに繋がっていきます。
次の章では、この視点がどのように形になっていったのか、
そして“触れる”という行為の再定義に踏み込んでいきたいと思います。