意識と身体:その②
〜神経系の共鳴性のはなし〜

はじめに|“共鳴している”という不思議な感覚の正体

前回の【その①】では、施術や指導を行っているときに、
自分の身体の内側でも、なにかが反応しているという感覚について触れました。

意識を向けると、まるで鏡のように身体が応えてくる。
それは、単なる“気のせい”ではなく、ある種の共鳴のように感じられるのです。

この実感には、まだ言葉にしきれない部分もありますが、
近年の神経科学や身体論の中に、その背景を説明してくれるヒントがあると感じています。

ミラーニューロンと神経系の共鳴性

人の動きを“見る”だけで、自分の脳や身体に反応が起きる。
そんな仕組みが存在することが、いまでは科学的にも知られています。

それが、ミラーニューロンと呼ばれる神経細胞群です。

たとえば——

  • 誰かが転んだとき、思わず「うっ」と感じる
  • 赤ちゃんのあくびを見て、大人もあくびがうつる
  • 選手のジャンプ動作を見て、こちらの身体にも力が入る

こうした“共鳴”は、ただの情動的な反応ではなく、
神経系が他者の動きを内側で“再現”しようとする働きであるとされています。

施術や指導の現場でも、
この“鏡のような共鳴”が、ごく自然に起きていると私は感じています。

共鳴によって見えてくる“エラー”

ここから、私自身の現場での実感について、少し深くお話ししたいと思います。

私は、選手や患者さまの身体に向き合うとき、
知識よりもまず“意識で観る”という姿勢を大切にしています。

意識を澄ませて、その方の動きや呼吸、全体の“雰囲気”に焦点を合わせる。
そうすると、ふと「ここに何かある」と感じることがあります。

たとえば:

  • 視線が止まる
  • 手が自然と伸びる
  • 自分の身体に似た違和感が起きる

その瞬間、私はよく、
「これは経脈や経絡のエラーとして表れているのかもしれない」
という感覚を持ちます。

さらに、不具合が“浅い”のか“深い”のか、
つまり「皮膚・筋膜レベル」か「深層の内臓・神経レベル」かといった
身体の反応の“層の深さ”までも、何となく読み取れることがあります。

もちろん、それが絶対に正しいというつもりはありません。
「つもりかもしれない」という自覚は、常に持っています。
でも——

脳がキャッチしたその“違和感”には、何かしら意味がある
そう感じたときには、私は必ずアプローチをするようにしています。

身体知と神経共鳴はつながっている

このような感覚は、“訓練された感性”のようにも思えます。
でも、私はこれを身体知と神経系の共鳴性が結びついた結果だと捉えています。

  • 身体知=「身体を通して知る力」
  • 神経共鳴=「他者と響き合い、反応する神経のしくみ」

この2つは対立するものではなく、
意識を研ぎ澄ますことで両者が高まり合うと感じています。

つまり、「意識」と「感性」と「知識」が、それぞれ補い合う関係にあるのです。

この三位一体の感覚は、私にとって、
施術や指導における“確かさ”の源になっています。

終わりに|感じる力を育てるということ

最後に、これは一部の人だけに備わった特別な力ではありません。

意識を整え、静かに観察し、感じ取ることを繰り返していけば、
誰にでも“共鳴する力”は育てられると私は思います。

そしてそれは、
他人の身体を“診る”力であると同時に、
自分自身の身体に耳を傾ける力にもつながっていきます。

「感じる力」は、現場に立ち続ける者にとって、
何よりも大切な“道具”なのかもしれません。

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