痛みはない。
でも、姿勢は崩れている。
痛みはある。
でも、動きはそれほど悪くない。
身体を観ていると、
こうしたことは決して珍しくありません。
本人の感覚と、
外から見える身体の状態は、
いつも完全に一致するわけではない。
むしろ、
そこには多くの場合、
ズレがあります。
そのズレを、
良い悪いで決めつけるのではなく、
丁寧に確認していくこと。
そこに、
コンディショニングや施術における
評価の大切な意味があるのだと思います。
評価とは、身体を決めつけることではありません。
姿勢を見る。
動作を見る。
痛みの度合いを確認する。
熱感や冷感を確認する。
立位、座位、仰臥位、伏臥位、横臥位…。
歩行、走行、スクワット、ジャンプ、方向転換…。
痛い、痛くない。
熱感、冷感。
違和感、重さ。
硬さ、柔らかさ。
動かしやすい、動かしにくい。
それらをひとつずつ重ね合わせながら、
いま身体がどのような状態にあるのかを確認していく。
つまり評価とは、
身体の現在地を知るための作業なのだと思います。
ただし、他者評価と自己評価が、完全に合致することはおそらくありません。
外から見れば、
姿勢が崩れているように見える。
けれど本人は、
それを普通だと感じている。
反対に、
本人は強い痛みや不安を感じている。
けれど外から見ると、
姿勢や動作の破綻はそれほど大きく見えない。
こうしたズレは、
身体の中で起きていることを考えるうえで、
とても重要な手がかりになります。
痛みだけを見ても足りない。
姿勢だけを見ても足りない。
動作だけを見ても足りない。
本人の感覚だけを見ても足りない。
だからこそ、重ねて観る必要があります。
他者から見える身体。
本人が感じている身体。
実際に起きている動き。
痛みや違和感の変化。
そのすべてを照らし合わせながら、
身体の反応を丁寧に読み解いていく。
そして、ここで大切なのは、完全な身体を目指すことではありません。
そもそも、
完全な身体というものが本当に存在するのか。
それは、とても難しい問いです。
どれだけ高い能力を持つ選手であっても、
身体には負荷がかかります。
競技を続ける中で、
構造的な問題が起こることもあります。
痛みを抱えることもある。
手術が必要になることもある。
それでも、その人は前に進んでいく。
そう考えると、
完全体というものは、他者が設定するべきものではないのだと思います。
もし他者が、
この姿勢が正しい。
この動きが理想。
ここまで整えるべきだ。
そう一方的に決めてしまうなら、
それはコンディショニングや施術とは、
かなり違うものになってしまうかもしれません。
本当に大切なのは、本人が自分の身体に気づいていくこと。
他者評価は、
そのための手がかりです。
自己評価は、
その人の内側から出てくる声です。
そのどちらか一方だけではなく、
両方を照らし合わせていく。
そして、
そのズレに少しずつ気づけるようになる。
必要に応じて、
自分で調整できるようになる。
その過程こそが、
コンディショニングや施術の大切な目標地点のひとつなのだと思います。
人に言われて初めて気づく身体から、
自分で気づける身体へ。
痛みだけで判断するのではなく、
姿勢だけで決めつけるのでもなく、
動きだけを押しつけるのでもなく。
自分の身体の現在地を知り、
いま必要な方向を探していく。
完全を目指すのではなく、
今より少し、自分の身体と向き合える状態へ。
評価とは
正解を押しつけることではなく、
自分の身体・動き・意識・心・知識に
気づくための、
姿見のようなものである。
その積み重ねが、身体を整えるということなのだと考えています。
気づいた人から変わり始める
