Diary

本質は、映像だけでは分からない

毎日、さまざまな情報が発信されています。
その内容は玉石混交。けれど、有益な情報も確かに存在します。

たとえば
「足首がこうやって捻れていると、膝にエラーが起きて痛みが出ますよ」
というような投稿。
これは臨床的な視点から導かれたものであり、現場でもよく見られる現象です。

実際、わたしが見てきた限りでも、ほとんどの選手…いや、もはやすべての選手に
何らかの構造的エラーが存在しています。
それにもかかわらず、痛みを訴える選手と、まったく痛みのない選手がいる。
怪我に繋がっている選手と、まったく問題なくプレーしている選手がいる。

この違いは、いったい何なのか。

わたしが現場で観察していて感じるのは、
そういった選手に共通しているのは「その状態が無意識に収まっている」という点です。

もちろん、その共通点を明確に見出すのは簡単ではありません。
ただ、わたしが専門とするバスケットボールの動きを通して見ると、ある特徴に気づかされます。
それは、動きがスムーズであるということです。

スムーズであるとは、
各部位が分離して動くことができ、かつ、それらが統合されて一連の流れとなっている状態。
おそらくその統合も、意識せず自然に行われている。
つまり、無意識のなかで最適化されているということです。

こうした状態をつくる要素として考えられるのは、
遺伝的な要素、そして生活環境や日々の習慣。
これらは一人ひとり異なるものであり、他者が同じように再現することはできません。

では、どのような要素であれば、意図的に取り入れることができるのか。

たとえば

  • 姿勢
  • 各関節の分離運動
  • 筋肉の柔軟性や強度

こういった身体の機能的要素は、ある程度整えることができます。
そしてこれらの評価は、臨床的な評価によって行われることがほとんどです。

けれど、それだけでは十分ではありません。

そもそもの問い……
「なぜ構造的にエラーがあるのに、痛みが出ないのか」
「怪我に繋がらないのはなぜか」

という問いへの答えにはなっていないのです。

つまり、見えるもの、測れるもの、評価できるもの。
そういった、少しでも可視化しようとするあらゆるものの、
さらに奥にある領域。

わたしは、そこに「意識」を据えて見つめ直す必要があると考えています。

もちろん、生まれ持った感覚や調整力、
無意識下の身体との対話能力のようなものは、
やはり備わっている人たちには敵わないと感じる場面も少なくありません。

それでも……

はじめから滑らかな動きができていたわけではない人たちが、
試行錯誤を重ねて、丁寧に工夫した結果、
もとから自然に動けていた人たちと同等の動きにたどり着いたとき。

その姿は、ただの上達ではなく、
周囲の人たちの心に深く届き、
本質を見ようとする人の心を、格別に強く打つのです。

だからこそ、伝えたいのです。

見える情報、分かりやすい情報に目を奪われがちな、いま…。
本当に大切なことは、映像だけでは分からない。
本質は、目に見えないところに宿っていると、わたしは思うのです。

-Diary

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