現在、伝達側と受領側(インプットとアウトプット)…敢えて分けて書きますが、大きい意味でこの2つの立場を同時並行のような形で繰り返しています。
どちらの立場であっても、非常にたくさんの気づきがあります(とは言え、どうしても…受領側(インプット)に立っている時に、ひと言と言わず、なん言も言いたくなってしまうことが多いのですが…笑💦)。
いずれにしても、その瞬間の立場においていらない先入観?欲望?自己顕示?などをできるだけ排して観ること・聴くこと・話すことができると、伝達側であれ受領側であれ、「いい学び」となることが多いように感じます(同時に、できた気になっているだけかもしれない…という部分も忘れずに持っています)。
「いい学び」になると、やはり「いい雰囲気」にもなります。
そうすると、
「面白かった!」
「楽しかった!」
「いや〜、良かった〜!」
「勉強になった!」
というような声が、不思議なことに伝達側・受領側の双方から上がるのです。
そうなっている時というのは、当初の立場がもはや溶け合って無くなっているのだろうな…と感じます。
わたしの場合はどうしても伝達側の立場に回ることが多いのですが、最初から「そうなる=いい雰囲気になることが決まっている」ということを素直に認知してから進めようとしています。
もちろん、そのための準備が重要かつ延々と続きます。
インプットの大部分は、そこにかかってきます。
「学び」は、これらすべてを含んでということなのだろうと思います。
※問題点は、受領側にいて場を壊す人というが多少なりとも存在する…ということです。
本人の自覚が有る無しに関わらず…いずれにしても非常に厄介です。
また、(同じ受領側にいて)それに不快感を覚える人と、そうでない人が混在します。
こうなってしまった場合、やはり伝達者側の思考や、言ってみれば熱量および力量が大きく問われるわけです。
そして、そうしたときに伝達側の熱量および力量があまり高くないと、上記のような「いい学び」「いい雰囲気」にはなかなかなりません。
この辺のことはネガティヴ要素も満載なので、またにしたいと思いますが、その辺も含んだ上での今回の話でした。
