
実は昨年ぐらいから、運動やスポーツ動作の向上などには、筋肉がどうちゃら、柔軟性がこうちゃら…ということよりも、脳や神経の問題および使い方が相当に大きなカギを握っていて、そこを掘り下げてアプローチしていかねば…と考えておりました。
先日の中村先生の勉強会では、そこへのヒントがふんだんに散りばめられておりました(強く思ったり考えたりしていると、やはり出会うように決まってるものですね)。
そんなこともあり、今日の指導はここから(写真ご参照)。
これだけ見ても何のこっちゃ?ですが…笑
スポーツ選手からしたら、相当にツマラナイ話です。しかし、選手たちは「なんだろう??」と少しでも汲み取ろうとしつつ聞いてくれました。素晴らしいと思います。
とにかく…そもそもできると決まっていることに向かっていきます。
◎身体を動かす(例えば、腕を上げるとしたら)というのは、そもそもどういう順番なのか?
a.無意識の脳波→上げようとする意志→運動
※実は、上げようとする0.35秒ほど前に、脳波は働いている模様(ベンジャミン・リベット氏の実験などで証明されている)。すなわち、運動の前に、どうなるのか(できるということ)が、すでに決まっているとも考えられる。
◎では、意志の部分が無意識に近いものであったらどうなのか?
a.錐体外路系の運動が主となっていると考えられ、そこを認知できていないだけで同じ経路を辿っていると思われる。
※ここでは、認知を「ものごとをはっきり認めること」という意味で使っています。
◎何が問題なのか?
a.色々あるが…どうしたら上手くできて、なんで上手くできなかったのが分からない。場合によっては、そもそも何も認知できていない。
◎それでは何に取り組むのか?
a.認知や認識。
※ 認識は「ものごとの本質を理解して判断すること」という意味で使っています。
◎それによって何がどう違ってくるのか?
a.運動の質。
例えば、足がどこに上がっているのか?本質的な意味で足を上げるということを認知しようとするならば、小さくゆっくりスムーズに動かしてみる(みようとする)。そうすると、思いのほかうまく身体が動いていないということが浮き彫りとなる。そして、それによって身体のなかの強弱、動きの良し悪しなどを認識できるようになってくる。
◎プレイが上手くできるということは?
a.一つには、脳と身体が同時に動くような状態で動けること(例えば反射に近いすばやさで1歩目がでるなど…)。
◎そんな面倒なことより、ただプレイの練習を反復すれば良いのでは?
a.身体・動きそのものの認知や認識が乏しい状態でプレイの練習を反復的に行うと、エラーの動き、障害に繋がる動きを身につけてしまうことになり、それが多くかつ長く続くほど、修正が困難になってしまうことが多い。
↓
上記のことなどを自問自答しながら、進めていきました。
そして、これらをきっかけに、パートナー・ストレッチ、エクササイズ、ストップの感覚づくりなどを行いました。
運動(例えばストップすること)は決まっている。
しかし、実際に取り組んでみると、goodとno goodが必ず存在する。
なにが違うのか?
実はストップするだいぶ前に決まっているのではないか?
それはどこからなのか?
・ボールが手に触れる少し前かもしれない
・ボールをもらいにいくための最初の1歩目の時点かもしれない
・それより前の立ち方かもしれない
そんなことを考えていたらキリが無いわけですが…「しっかり止まれ!」と大声で(アホミタイニ)叫んでいる(シドウシャタクサンイマスヨネ…)だけに比べたら、選手たちの探る行動や実際の変化ははるかに大きいということが、本日も見て取れました。
また、これらの現象を冷静に柔らかく受け取って自分の行動に反映していくためには、やはり感覚を育てることも大切だと考えます(わたしの言う感覚はこの部分が大きいです)。
ただ、わたし自身も勉強不足の分野にて、まだまだおぼつかないアウトプットです。
しかし、あれこれ言ったところで、スポーツ選手はなにも考えずに振り絞らなきゃならない場面が多々あります。
また、いつまでもプレイできるわけではなく、時間が限られていることがほとんどです。
だからこそ、工夫が必要になります。
時には「え?なにそれ?」という分野からダイナミックにアプローチしていくべきだとも思います。
いずれにしても、その貴重な1回1回に指導者として立ち会うにあたり、何らの工夫も示さず立ち止まっているわけにはいかないと考えています。
インプットとアウトプットをトライ&エラーで繰り返すと同時に、現場での事象をきちんと観察しつつ丁寧に進めてまいります。