大学生のころ、わたしはウエイトトレーニングをたくさん行いました。
それによる恩恵も多く感じていました。
トレーニングコーチがいたわけではないので、図書館で調べたりして自分でプログラムを組んでいました(足りないところだらけだったと思います…)。
また、共に取り組む仲間がいたわけでもなかったので、ほぼほぼ1人で行っていました。
合宿所のトレーニング場にて、夜中1人でガチャガチャさせていたのを思い出します。
取り組むほどに身体の見た目もハッキリ変わっていくので、キツいながらも、非常に楽しく行っていました。
そんな過程のなかで、気がついたことがありました。
「ウエイトトレーニングって、力が抜けるようにするためにやってるんだよな〜。」
あくまで自分にとっての感覚です。
いまにして思えば、筋力の上限値を上げることで、プレイなどで瞬間的に必要な各部位の力が低く感じるようになる。結果として、無理矢理に行わなくて済むため、力が抜けたような錯覚を持てていた…ということではないかと思います。
ただ、実際に軽く走れたり跳べたりしたことがあったのは事実ですので、すべて間違っていたとは思いません。
しかし、残念ながら足りなかったことは…当時力が抜けたと思っていたことはあくまで錯覚で、適切に抜けた感じを本気で探りにはいっていなかった…ということです。
そこまで考えが及ばなかったのも事実です。
観る目が無かった…とも言えます。
いずれにしても、足りなかったと一言で片づけるには余りにも大きすぎるところです。
そこをまず観なきゃ!探らなきゃ!と当時のとがしくんに懇切丁寧に説いてあげたい気分です笑
なお、当時自分なりとは言え、探ってもがいて試したことが、いまの伝達への財産になっていることは間違いありません。
もちろん、最初から適切なものができることに越したことはありませんが…四の五の言わずに取り組んでみる(自ら、考えて行う)ことで、後々の未来に大事なものが見えてくるということを実感しています。
