◎学びや出会いをヒントや成長の材料として、さらに深めるような思考、行動、鍛錬
◎答えを単に覚えるためや答えそのものをもらうための学び
前者は、一旦全て受け入れて、その時点の自己を認識する(出来不出来、善し悪しなど)。そこから工夫して咀嚼を図る。理解と習得を進めるためには、基礎基本の鍛錬を地味に泥くさく繰り返していく必要がある。
後者は、誰々の教え方が悪い、これは自分には難しい、この書き方がおかしいなど、入口の段階で経験(所詮乏しいにも関わらず)に基づいて選別をする。そして、一見見映えの良さそうなものや安易そうなものに群がることを繰り返す(セミナーショッピングがその一例)。結果として、いつまで経っても本質的なものがほとんど身につかない。
例えば、この両者が共に何かを学んだとしても…身につけたことの本質的な共通項は、かなり少なくなると思います。
それにしても…思考や人生観、そして世界観の相違…要は生き様の違いが、これほどまでにギャップを生むのか…ということを、現在まざまざと見せつけられています。
なかなかの驚きの毎日です。
学ぶこと、考えること、習得を目指すことというのは、難しいからこそ取り組む価値があると思います。
そして、それは一生涯続くものでもあります。
しかし、いかに楽をして身につけたつもりになるか…いかに誰かを利用するか…いかに本性を隠して多くの人を騙すか…その辺りに重きを置いている有象無象の多いこと、多いこと…。
この辺りが、わたしがときおり強く感じる違和感の正体の一つのようです。
いずれにしても、いまの仕事をさらに進ませるために、泥くさく地味に鍛錬と修練をするのみです。
